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お天気は兵庫県南部の予報です。かなりの度合いではずれてますのであしからず。

2006年6月13日(火)

くだらねぇ

すみませんが、主宰の心の都合上、今日もコスメネタではありません。
当然、あの、情けない日本の試合ぶりについて。
今さっき、オーストラリア戦が終わりました。

本当は、感想は、たった一言です。
「くだらねぇ。」
多分、ニュースでは「歯に絹着せて」コメントするだろうけどね。
私にはできないわ。

フランス大会以来、3度目のワールドカップ、
7戦目の試合でしたが、
これまでで、いっちばん、くだらねぇ試合でした


7戦とも、同じく敗退したとしても、
これまでは、これほど覇気のない後味の悪い試合はなかったと思うほどでした。

川口選手のゴッドハンドはファーストタッチから生きていました。
後半、試合開始時から「いつ入れられてもおかしくない」状態で踏ん張り、
とうとう1点目を入れられるまでは、
嘘のように勘が冴えていて、素晴らしいセーブ力でした。
しかしですね、川口選手が活躍すればするほどに、
要するに、
「押されまくっている」のであり、
試合のほとんどが相手ゴール際で行われていたという意味です。
とうとう、前に出てしまった失敗から1本目のシュートを許した後は、
ガソリンが切れましたねぇ。

あれだけ押されたので、
ディフェンダーも、相当に踏ん張ったと感じました。
フランス大会の秋田選手や伊原選手の決死の迫力を彷彿とさせました。
後半10分足らずの時から、なし崩しに崩れるまでは。
なんであんな時にジーコは
2バック(ディフェンダー2人)にしてしまったのか謎ですわな。
ミッドフィルダーが助けるのはわかってはいても、
あれだけ押されていたら、ますますスケスケですやん。

ミッドフィルダーも、上へ下へと、すごく動いたと思います。
いつでもどこでも、皆が走りこんでいましたから、
ピッチをパッと見た感じでは、
一体、誰が「下」なのか「上」なのか、決まりなんかなしで、
皆が攻撃ようとして、アシストしようとして、
そして素晴らしいディフェンスをしていたと思います。
けど、どちらかというと、
弱気にも、
攻撃に上がるより守りに下がる方にスピード感があったと思うし、
小学生レベルの凡ミスには泣けたがね。
毎回毎回、どーして同じ様な凡ミスするんしょ。

ただ、動いてはいたけど、思うようにポールを回せていませんでした。
私的ジンクスである、
「中村選手の精彩の無さ」による全体的なキレの悪さは恐ろしいほど。
中村選手は、
ディフェンスではかなり技術的な面で優れたプレイを見せていたけど、
中村選手が実際に「しなければならない役割」には生きていませんでした。

日本チームというのは、技巧的なパス回しが得意ですが、
全て阻まれました。
邪魔されたら、技巧的な構成はまるで機能しなくなるのですが、
「邪魔」の度合いが想定外でしたかね?
要するに、日本レベルは世界レベルではない、というだけの事です。

そして、結局、フォワードが不在だったのです。
毎度言われる欠点、日本の「決定力不足」がモロに出ました。

ドイツ戦で高原選手が柳沢選手の囮やアシストで2点も入れたって?
実は私は、
たまたまドイツに魔がさして空間ができただけだ、と思っていました。
だから、ドイツ戦については、ここにも何も書きませんでした。
彼ら2人の動きは、何故だかママゴトを彷彿とさせるんです。
(私にはそう見える。)
「直ちゃん、次は直ちゃんが入れてね。行くよぉ。」
「敦ちゃん、ありがとう。まかせてっっ。」みたいなさ・・・(泣ける)。

ボールをオーストラリアに支配され続け、
たまのたまにしか来なかったチャンスだけど、
絶対、もっとシュートはでできたはず。
どこからだって、どっちの足でだって、シュートできるのが、
世界大会に出場できる真のストライカーだと思っていたけど、
どうも日本は違うようです。
「きちんと体勢を整えないと打てない」ようです。
レベル低・・・。
体勢を整えている間に、
デカい相手ディフェンターが、ことごとく壁を作ってしまっていました。

この、「フォワード不在」は8年前のフランス大会とまるで同じままだと感じました。
何も進歩していない。

しかも、獲得した1点は、「偶然」です。
ミッドフィルダーの中村選手がアシストしたボールが、
たまたま入っちゃっただけです。
キーパーに触れていた高原選手はファウルだったと私は思いますが、
たまたま見逃されたのもあるでしょう。
「なんでもエエから、入ったらエエ」のだから、別にいいけど。
 (後日、審判は「ファウルだった」と認めたそうです。キーパーチャージです。
  だから、実際は日本は無得点。 )

他、ミッドフィルダーの福西選手が、
いちいちカットされるパスなんかしないで、
堂々ストライカーになっていたのだけが「見られたブレイ」だったでしょうか。
彼はベンチの指示ではなく、自らの判断で動いたとの事。
私は唯一、誉めたい。

フランス大会の時の戦いっぷりは、
今回のようなイラ立ちのない、「精一杯」な様子を感じていたので、
「くだらない」とは思いませんでした。
ずっとずっと「次も頑張れ」と心から応援していられました。

今回は、
「よく、こんなで予選通過したもんだわさ。」
とまで思いました。
というか、本当は通過した時から思っていたんですけどね。
私、予選落ちすると思っていたのは本音です。
そのまま、何も進展していない、という事です。

そして、正直言うと、
「頑張れない恥ずかしさ」を披露するだけなら、
「後は放棄して帰れ」とまで思いました。

牛脂肉汁みたいなヒディング監督(まじ、キショイ)に比べて、
ジーコ監督の采配ミスに、批判も多いけれど、
私は、トルシエ監督や岡田監督の時は腹立ちしかなかったのですが、
今回は、選手の不甲斐なさに、ジーコが気の毒だと感じてしまいました。
それは多分、ジーコ自身が実績を持っているからでしょうか。
選手として最高でも、監督として最高かどうかは別ですけども。
この4年で、
あまりにたくさん脱落したジーコのヒヨコのような残り髪が風にそよぐ度、
哀愁を感じる私です。

采配ははじめから最低でした。
練習を休んでいた柳沢選手に期待したのは何故だ?
柳沢選手とジーコには、ある奇妙な関係があるからね。
やたらと出したがるのさ。

中村選手の黄金の左足を、ワザと潰そうとする行動をする
オーストラリア選手陣にジーコは気づいていたのかいないのか。
(後日、聞いたところによると、中村選手は左足の爪が割れていたそう。
 けど、出場を望んで黙っていたとか。冴えなかったので批判浴びています。)

後半に小野選手を投入した時のジーコ監督のメッセージは一体なんだったのか。
これは私にもわからないが、選手たちにもわからなかったと考えられます。
選手は皆、落ち着かなかった。
今さら2点目云々言っている場合でない時に、
4バックのためのディフェンダーではなく、
2バックにしてまで何故にフォワードを投入したのか、
本当に摩訶不思議な采配ですがね・・・。
ヒヨコ頭は何を考えた?

中田英選手も今回限りでワールドカップは引退すると表明していたので、
3大会共々、活躍した餞にもなる試合を皆がして欲しかったです。
今回は本人もイマイチでした。

嗚呼、明らかに「楽しんで試合している」ようにも見える他国の試合を観るにつけ・・・
力の無さに顔にだけ悲壮感を漂わせているだけの日本選手は・・・寒いです。

それと、関係ないですけど、なんでNHKなんだ。
陰気臭い解説で鎮静しちゃいます。
臨場感はないし、迫力がないし地味過ぎ。
サッカー解説に似合わない解説者なんてね・・・。
「高校生教育/生物学講座」みたいだったぜ。

それと余談ですが、
私は、本当は、「人がしているスポーツ」の観戦なんか嫌いなんです。
何故って、皆、プレイヤーにブーブーブーイングしているけど、
「そんなに言うなら、自分がすればいいじゃん。」なぞと思うからです。
野球を観戦している人のブーイングなど、ゾゾ気がするんです。
「んじゃ、おっちゃん、アンタがやりなよ。」と。
 (どうしても野球=おっちゃん、な図式の私。)

私がなんだって、どちらかといえば男スポーツの、
例えばサーフィンだとかジェットスキーだとか、
オタク系言えばビリヤードだとかもするのは、
「ついて行って見ているなんてつまらないから。」でした。
バイクにだって、ケツになんか乗ってもつまんないじゃん。
自分で乗るわ。

サッカーだって、「なら、自分がするさ」と言いたいところだけど、
中校生の時、サッカー部に入部しようと思ったら、
「女子はマネージャー」なんて言われて、
「誰が汚い洗濯物を洗うかい。」とあきらめたわ。
私はサッカー部員になんか興味ないもんね。サッカーに興味があるだけだ。
どうしてサッカー部かというと、サッカーが好きだったのもあるけど、
ピアノの先生に、
「絶対、突き指や怪我はしないで。練習を休んだら取り戻せないから。」
なんて言われたからね。
サッカーなら怪我しても突き指はないかな、と(笑)。
他の部分は怪我しても、弾けなくはないじゃん。
足くらい折れたって、指で弾くんだから、って理屈で。

でも女ってだけで断られたから、仕方なく観戦者。
だから、許せ。
観ているだでのブーイングも・・・。

2006年6月9日(金)

<ダサ小説ネタ>

コスメネタも書きたいものが出ているんですけど、
今日もまた、主宰者の勝手でダサ小説ネタ。
(ここでいう「ダサ」とは、「かっこよくない通俗」みたいな意味です)。
どうしても、これ書かなきゃ、頭ズッシリしているもんでさ。

下記のきっかけで、めちゃくちゃ久しぶりに恋愛小説?かな?を読みました。
「海猫(谷村志穂)」です。
いや、 恋愛小説というよりは・・・
背景があまりにおどろおどろしくて痛い小説なんですけど。

学生の時以来、私はソコラの恋愛小説になんか全然興味がなくなってしまい、
(事実の方が小説よりおもしろいから)
こんな種類のものを読むのは珍しすぎるんですけど、
読んだ理由は、まずは映画のせいです。
後輩が、
「映像のどこかに、そういう訴えはあるのかも知れないけど、
 どうしてこの主人公が死ななければならなかったのか、私にはわからない。
 ちょっと観てみてください。」
と言うので、粗筋も知らずに(知らない方が観点に偏見がなくなる)観てみたら・・・・
なるほど、なんとなく消化不良

後で原作を読んだら、
あれでも一杯一杯、短時間での映像なりに語られていたのだと思ったけど、
邦画の短所が出てしまったか・・・な感じです。
こーいう、暗い舞台の邦画が全く好みではない人は観ない方がいい。

フと、なんの拍子にか観た
松田優作さん主演の「それから」を思い出した映像でしたが、
後で見てみたら、監督、同じ 森田芳光さんでした・・・。
なるへそ。

ちなみに私は、映画は、
ドカーンボカーングワッシャーン、殺人殺人、チェイサー、
みたいな方がけっこう好み。キャハハ。


寒い、悲しい、痛いグレーな映像の中の花はヘタでもいいのさ??

冷たく美しい映像でした。
全体がグレーの・・・・。
舞台は北海道函館と南茅部(現在は函館と合併)。
函館五稜郭から南茅部までは、1時間とかからないのだけど、
峠の一本道で繋がっているだけで、
苛酷な真冬に吹雪くと運試しと呼ばれるような「隔たり」があった、
と書かれています。

南茅部は、この季節に観ても寒く感じるほどで。
「太平洋側で良かったわ、日本海側は暗いんですもん。」
って劇中で言ってたけどね・・・
どっこも太平洋な感じはなくて、充分暗いぜよ・・・。

この付近で採れる「真昆布」というのは、
昆布全体での最上級品とされていますが、
ここの漁村では、「夫婦一組」で昆布漁をしています。
ここに、都会ですら目立つ、類稀なる若い美人が嫁いできます。

美しすぎて、人を近寄らせない・・・
と原作にも書かれていますが、それって・・・
ひょっとして、主人公の性格もあるのではないでしょうか。
環境が育んだ閉鎖的にならざるを得なかった性格でもあるんですけども。
立っているだけで痛い風情な美人って大変なのか?
不美人の私にはわからん。

で、その美しい色白の娘は、父がロシア人とのハーフ。
母ですら、
心に入り込む事のできない頑なな冷たい水底を抱えているような娘。
ストレートに近寄ってきた漁師に日溜りを感じて嫁になる事を決心。

漁師の嫁って・・・気力も体力も強くないと務まらないだろうし、
人に心を開くのが苦手で、船酔い体質で・・・・
違和感あり過ぎですがな。
けど、「今に真っ黒になって漁師のおっかあになる」とけなげに働くんです。

その嫁を演じるのは伊東三咲(薫)さん。
グレーな南茅部での、
毅然とした美しさとは裏腹に儚げさを漂わせる
伊東三咲さんの透明度は異様なほど。

セリフ回しが ヘタなだけなんだろうけど、
もともと暗いであろう、饒舌ではないであろう女性として、
たどたどしく喋るテンポも、作り手の意図なのか?
不思議と合っていました。
ワザと、ああいう喋り方をさせたのだろうと思いつつ、
ちょっと白痴っぽく見えたりなんかして・・・・。

ただ、周りを固めた名役者の演技が全てを救ったかも。

@伊東三咲さんの夫である
真っ直ぐだけど荒くれた漁師に佐藤浩一(邦一)さん、
   (なんだか父親の三国健太郎さんに似てきたなぁ)
A伊東三咲さんが本当に愛してしまう
佐藤浩一さんの弟であるフェミ男は仲村トオル(浩次)さん、
Bロシア軍人と駆け落ちして
女手一つで子供2人を育てた伊東三咲さんの実母に三田佳子(タミ)さん、
C佐藤浩一さんの母、つまり伊東三咲さんの姑に白石加代子(みさ子)さん、
D佐藤浩一さんの不倫相手である小島聖(啓子)さん、
E伊東三咲さんのチャラ男の弟は深水元基(孝志)さん。

佐藤浩一さんが乱暴な悪者に見えてきて、
仲村トオルさんの一重瞼が哀しく見えてきて、
三田佳子さんがふてぶてしく見えてきて、
白石加代子さんが鬼婆に見えてきて、
小島聖さんがモテない行き遅れの欲情女に見えてきて、
深水元基さんが心優しく弱い本物のフーテンに見えたってのは、
彼、彼女らが本質そうなのではなく、演技の賜物だからでしょ。

これだけ固まれば、伊東三咲さんは「花」だから良いのよ・・・だと思え・・・。
余談ですが、
私はもともと個人的に伊東三咲さんの美しさが好きですが、
なんとなく同世代の中では浮いているような・・
自分で持て余しているような点が、
まだまだ魅力を引き出せないでいるような気がします。
で、私は、なんとなく、
伊東三咲さんの背が高いから美しいと思っているのだと気付いています。
あの、魅力を持て余すと同時に持て余した長い四肢が綺麗なんです。
もし、彼女の背が低かったら、顔が同じでも、私は美しいと思わないと考えられます。


いっそ原作を読んでみようと思ったきっかけ

で、先程の登場人物がああだこうだ、それだ、
と人生劇を演じるわけですが、
要するに、映画では、「兄の嫁に惚れる弟と、応えた義姉」の、
まぁ、よく言えば悲恋物語。
悪く言えば、ただの不倫ごっこ


映画をサラリと観ていて、「ん?」となった点はたくさん。

@映画の時代設定は1980年。
 いくら峠の向こうの漁村にしても、チとおかしい・・・。
 昭和初期臭い。
 土地によっては、家での座敷で披露宴をするとしても、
 上座に正座したままエロ話しする漁師仲間と盛り上がる花婿って?ゲスい。
 赤い長襦袢姿でもじもじする新妻との初夜って?まさか。

 1980年代で、「青い目」、いわゆるハーフをそんな蔑視するかぁ?
 
 ☆原作によると、やはり設定は1957年〜1959年だった。

Aタミさんは、一体、どういうロシア人と駆け落ちし、
 なぜそのダンナが死んだのか皆目わからない。
 
 ☆原作によると、時代設定として合うが、
   実際はロシアの軍人だったから、戦争で死んだ。
 

Bどうにもこうにも「いきなり」なセリフが多くて、「はぁ?」

 ☆原作の「要点」となるセリフを切り取っていたからだった。


Cなんで浩次の工場は、こんなに長期休暇できるのか

 ☆原作では、北洋漁業船の乗員だったから正規
のオフだった。


内容の「ん?」は原作にもあるので、それはここでは置いておきます。

で、原作を読んだ理由は、これら「ん?」が気持ち悪くて解明したかったのと、
「多分に、かなり端折っただろう。」と考え、
「だから辻褄が合わない部分」が見え隠れしたから
です。

それと、最初のきっかけであった、
「どうして死ななければならなかったのかわからない。」は私も同じくで、
ついでなら、
原作であれば、
もっともっと心の機微や襞がわかるかも知れない
という興味でした。



映画は原作の核だけであり、原作は呪われたような恋愛だらけ〜


実際、か〜なり端折っていました。

もとからして、
原作そのものは親子三代における女性の恋愛を描いています。
厳密にいうと、二代目の薫と、その子供2人のストーリーの2段構成であり、
その2つのストーリーを一代目タミが語る(実際には語っていないが)といった感じ。

原作の中身は「禁断」というか「悲恋」というかが盛りだくさん。
戦前の駆け落ち国際結婚、
兄弟内トライアングル不倫関係、
娼婦とプータローの恋愛、
プータローと寂しい未亡人の関係、
学生出産、
親族恋愛
重み満開っの盛りだくさん過ぎて、読んでいるこっちが疲れちゃうほど。
オタクの血筋は呪われてんのかーーって感じですけどね・・・。
ただし、
小説は事実の改めての代弁となると私は思うわけで、
それらの愛に苦悩する様子は、心理的には多少はわかるから痛い。

映画は、二代目の薫の部分だけが全体です。
でも、その部分だけで充分だし、その部分だけだとしても、
原作が長いのだから、映画となると、端折られても仕方がありません
ただ、
多分、「原作を読んでから映画を観るとスカ」なタイプです。
監督も脚本家も、精一杯映像化していると感じるところがあり、
とても「荒削り」とは言いにくいのですが、結果的には、荒削りです。

突然飛び出す大事なハズのセリフも、意味不明になっちゃったのは頂けないし、
タミの人物像が原作よりカッコ良すぎたし、
みさ子は原作の方が、いたいほどに優しくいたいけだったし、
孝志は原作の方がますますチュートハンパなイヤな奴だったし。

内容も、かなり飛んでしまったから、
映画だけでは辻褄の合わない点がひどく多くなってしまっています


女の肝が据わると・・・

粗筋としては、だいたい合っているんですけど、
義弟と不倫し、受胎を確信して義弟を避け、
その子を夫の子として生む薫の気持ちが、
イマイチわかりにくいってのは致命傷。

だいたい、薫は、惚れてもいなかったくせに、
「ホッとするから」という理由で、邦一と逃げ道のように結婚したでしょう。
これがそもそもの間違いだと私は思います。
ダメよ、ホッとするからだけで選んだ相手には惚れられない

けど、薫は、
けなげに「夫」というより「婚家」に溶け込もうと努力していたし、
もともと「男」を知らないから、
いつも気違いレイプみたいなセックスしかできない夫を攻めないどころか、
(小説では薫は悦んでいる事になっているが、
 この部分は、しつこく描写される上に、もはや官能小説チックで頂けない)
それが夫婦の愛情だと思い込んでいたし、
怒鳴られても殴られても、それが夫婦だと?
父を知らずに育った薫には何もわかっていないって事。

そして義弟とは絵画や文学の話しができるから?
もしくは、夫より甲斐甲斐しく世話しまくってくれるから?
それで、夫に嘘をついて、
心の空虚を満たしに、自分を慕う義弟のもとに走り、
「一度だけ抱かれにきたの」とは(映画は一度、原作は3日間ほど激情(笑))。
薫は、ここで初めて心から好きな男性と結ばれるから、
「体」ではなく、「心」を抱かれたと感じるんですね。
良かったですね〜。
考えたら、義弟と通じなかったら、
薫はセックスとレイプの違いがわからなかったでしょうや〜??

そして薫は妊娠を確信したんですけど、
義弟と十字架を抱えて逃げて生きる事を拒み、
夫のもとに平然と帰ってしまうんです。
女は、「たった一つの思い出だけで生きられる」と言いたいのか・・・?
しかも、「その証拠」を宿しつつ、
しかも「生命」という生身の証拠である事を恐れもせず。

そして、夫の子供として産もうと決心するから、
すでに義弟に抱かれた身体は、
夫が気持ち悪くて疎ましくて仕方がないものの、
「既成事実」を作る為に、一度だけ夫を「誘う」んです。
夫は改めて薫を痛いほど掌中に入れたいのを自覚しますが、
翌日からは、いきなり薫は夫を拒否しまくるんですけどね。
夫、またも大消沈で、
浮気相手にすがる・・・の図。
けど、愛してもいない夫の不倫は薫にはどーでもいい話。

女というのは、本気で何かを成し遂げようとすると、
なんだってできる、の典型です。
女はこういう時、肝が据わりますからね。
映画では、この鬼のような女の場面はありませんでしたが、
この場面がなければ、
「夫の子であるはずがない」ので、話しの辻褄が合わないのですよ。

そうして生まれてしまった子供は、
生まれながらにして親の嘘と罪を抱える
って事、全然考えていないんだもんね。
ひどい。
これじゃ、単なる薫の心の自浄。

このお話し、
もっともっと、それぞれの者が互いを思いやり、
秘めた想いがあっても隠し耐えて、
それでも運命の歯車が狂って起きたアクシデントの結果だったなら、
ずっとずっと深く深く哀しみを誘ったかも知れない・・・。
なんとなく、そういう深みはないまま終わるのです。

実際、映画は、こういうところ、つまり、
人間の欲望や汚い感情をサラリと流してしまっているから、
深みがないのだと思いました。
画像では流したように観えるしかないんでしょうね。
セリフと情景だけでは、心の深みを語るのは難しいかも知れません。

でも、人間って、いろんな葛藤に苦しむのが当然だし、
あれだけ切に求めた男性から離れ、
夫のもとで隠し通して不倫の子を
計画的に産んでしまうほどの女性の壮絶さを、
もっと何かで表現して欲しかったと思います。
そうでなければ、
「何故、死ななければならなかったのか」も理解できないし、
また、それ以前に、
「何故、幼稚さの残る義弟にそこまで惚れたのか」
も理解しにくいです。

「ぼくはいやだよ。薫が兄に抱かれるなんて。」
と義弟にあんな沈んだ目で見つめられたら、通常は、ゾゾケしますがな・・・。
ドラマ上では薫も義弟に出会った時から惹かれていたのが前提なんでしょうけども。

画像の機微でわかって欲しいのかも知れないけど、
しょせん、トーシロが観てわからん内容ではイカンでしょ。



やっぱりわからない・無責任な男女だぜ

最終的に、不倫関係である薫と浩次は、
事故的要素を抱えた「成り行き心中」してしまうんですけどね・・・。

これだけは、映画だけでは理解できないからって、
原作を読んでも「理解」は絶対にできなかったんですけども。
単に、小説的に悲劇が起こった方がいいのか・・・?

ただ、理解できるとしたらば、
もともと薫という女性が「血肉」を感じない白磁のような、というか、
生命力自体が欠乏している設定なんですね、
だから、もともと短命なのかも・・・みたいな感じで受け入れやすいかも。
んだから、
「もういいの」と言い残して、
簡単に死の方向に向かえたのかな?という気はしました。

にしても・・・原作共々「もういいの」ってさ・・・
何が「もういいの」か、わかんねぇよっっ

上記のように、あれだけの覚悟と壮絶な心で生んでおきながら、
「もういいの」とは・・・。

アンタさ、2人もの子供を残してアッサリ死ぬわけ?みたいな。
無責任の塊。
どうせお母さんか誰かが面倒見てくれるでしょ、と思ったわけ?みたいな。
「後はどなたか任せたわよっ」なんてって死んじゃうとはね。
「理解」はできないけど、これだけは言える。
「罪の償い」の為の死ではなく、「逃げ」の死だわ・・・・。
生きて苦しみ抜く方が償いでもある・・・。

映画では、助けようとして死んじゃったのか、後追いだか、
奇妙な海猫スタイルで崖から海に飛んじゃったからわかんなかったけど、
(ここ、笑えます。異常な画像。)
原作では、はっきりと後追いした浩次も浩次だ・・・・。
アンタの子供も居るんだよぉ・・・。
いきなり両親共々亡くしちゃった、しかも自殺されちゃった赤ちゃんなんて・・・
悲し過ぎ。
(実際、原作では、
 「母を苦しめた男の娘」と「父を裏切った男の娘」が寄り添いながら、
 違う理由で同じ重油を心に抱えながら 二人共々、葛藤の中で生きていきます。
 重たすぎる出生の翳りと長く戦います。


邦一も邦一で、
「俺は、これからここで、どうして生きていけばいいんだ」と言うけど、
自分の事ばっか考えて・・・
知るかいな〜。

自分が手に入れたくて入れたくて、
どうしても叶わなかった薫の心に打ちのめされながら、
原作によると、
妻よりズンとブサイクだから安心感を持てて、
「妻ほどに心かき乱し、心震える事のない女」に陽だまりを見つけて不倫して、
ほんでもって、その後、漁村で徹底的に村八分にされながらも、
その女しか,もう自分を救ってくれないからって、
のうのうとその女と再婚してんじゃんな・・・。

そのブサイク女も、なんでまた、「代替」でもその男を愛し、支えるんだか。
私、この手のタイプ、むちゃ苦手。
:不必要なまでの謙虚さがイヤミ。
だって、本心は、この「良い人ぶり女」も、
自我を満足させるために邦一を手にしたのだもの。
原作では、邦一の美しすぎる妻を見て、
「こんな美しい奥さんが居て、家で息詰まらないのだろうか」
なんて思うのよ。
なんか、違う意味からタカビー。
実際は当たっていたけど、
美しすぎる妻の顔見て安心する男だって居るはずだから、イラン事考えるな。
(原作によると、もともと「人に乞われる」事に喜びを見出すタイプでした。)

こうなると、この話しは、どいつもこいつも、一時が万事、全部我がまま

いえ、主人公たちになり切って、自己チューになって「入り込んで読む」と、
全てに納得できたりなんかしたりして、
美しい悲恋物語になるんですけどね。
それって、単に悲恋物語に酔っているだけよ。
おばちゃんは冷静なんだもん〜。

「薫は愛に生きた!」 ってキャッチフレーズは・・・違うと思う。私。
「愛に生きた」のなら、むやみやたらと死を選ばなかったと思う。

でも、「薫は人間としての痛みから現実逃避した!」じゃ興味湧かないもんな・・・。

「入り込んだ人の感想」は、
「誰もが一生懸命生きようとしているが、止めようもなく破滅に向かって行く」??
止めた人、居たかな・・・
「会えない我慢」「貫く想い」「潔い決心」はあったかもだけど、
皆が皆、やっている事は自己チューで幼稚だったんですけどね・・・。
誰もが「止めようのない運命の波」を作ってしまったし、
それに酔ってなかっただろうか。


メロドラマの展開の根底は結局同じさね

で、小説というか、こういう、ありそうでなさそうで、
実はあったりするドラマの根底は結局同じ。

人生は、たいてい、ふだんは平凡に緩慢に動いているようなのに、
「何か」が起こった時点からの展開はものすごいスピード
ですよね。
この海猫然り。
薫と浩次の、たった2年の激動でした。

平凡なだけだった既婚会社員に、
狂おしいほどに好きな女性ができて、離婚裁判でボロボロになったのに、
1年かかっていなかった、とかね、
逆のハッピーパターンも展開しだすと早いんですよね。
有り得ないような話は、起こったら展開が早い。
ドラマ(メロもコメディーも文学も)と現実はいつも紙一重のところにあると思う私。

これを、どこまでドラマティックに、ヒューマニティー溢れる内容にするか、
が、ミソなのだと思います、
どこまで、「現実を代弁するか」が、共感度=ヒット度なのだと・・・
私は思うんです。

どーでも良い話でしたけど。

2006年6月8日(木)
2枚に裂けるコットンの利便性とラメネイル用だと騙されたコットン
    (むっちゃたいした事のない話しだわ・・・ごめん)

コットンは1年半くらい、
ずーっとクレ・ド・ポー・ボーテの「ル・コトン」を使い続けていたけど、
本当は別に、大判だったらなんでも良い私。

なんとなくバラドラで買ってみたのが、
「チャスティ/メイクアップコットンセレクト」
「カシミアタッチ」と書いているけど、
ル・コトンに慣れている私にし、「シルクタッチの方が気持ちいいじゃん」って程度。
でも、確かに肌触りは優しいです。
うっかり擦っても、全然痛くないから、
クレンジングを天使の美肌水で拭き取る時に便利。

パッティングしたら、ちょっとケバる気はするけど、
本当はケバるほど強いパッティングは間違いだから、こんなもんでOK。

なんなく、「引っかかり」がない分、先行乳液の馴染みはイマイチで、
相性があまり良くない気はします。

で、何が便利って、1枚が2枚・・・って・・・わかりにくいですね、
要するに、薄め1枚が2枚組に重なっていて
通常使うには1組で使い、
そのままローションマスクするには、スコンと2枚に分けたらバッチリなんです。
これを2組使えば、目の下から頬全体にかけて、
抜かりなくローションマスクできちゃいます。
袋には、
「50組100枚」と書いているのだけど、結局、50枚みたいなモンなんですけどね・・・。

んで、どんなコットンでも、2枚に引き裂いたら同じなんですけどね・・・
でも、自分で引き裂くと厚みが違ったりするわけで、
これの場合は同じ厚みのものが2枚できあがるんですね。

ってだけなんだけどね・・・
たいした話しではなかったな。

けど、なんだかんだ言って、なんとなくクセになってリピートしています。

これには、拭き取り専用の「スキンクリアコットン」もありますが、
私は薄い薄い角質をやたら剥がすのは諸悪の根源だと思っているのでパス。
どうしても角質をクリアしたいなら、
小さいけどクリニークのが「絡め取る」力は抜群。

上2つがチャスティ。

下が騙されたやつ
下記参照。


で、フと見ると、
「ラメラメネイルも一発で取れる」という文字が
おお、なんて便利な物が。
カネボウで、その名も「とりさるコットン」
アナスイのラメラメ大好きな私は、塗る時はいいけど、
取る時は、あまりに取れ辛くてキーーっとなっちゃうんす。

どちらかというと、除光液で取っているというよりは、
コネコネになっちゃうコットンで物理的に擦っちまっている気がする事あり。
しかも、それもル・コトンと来たら、もったいないとは思っていたんです。

メッシュになっていて、見るからに取れやすそうだし、
60枚400円の3割引なんだから、説明も読まずに買っちゃいました。
ガーン。
早速やってみたら、他のコットンとあまり変わらないやんかいさ。
確かに、メッシュがラメを絡め取る力はあるけどね。

ほんで、よくよく説明を見てみたら、別にネイル専用ではないのだわ・・・。
肌の角質クリアコットンってわけ。
しかも、表裏があって、片側はプレーン。
メイルになら、両面メッシュでいいわよっ。

まぁ、今までお高いコットンでネイルを取っていたからね、
ネイル取り専用に節約できる分だけマシか・・・。

    
<サッカーに興味がない人へのサッカーの楽しみ方・その2>

これって、何がテーマのHPだっけって・・・無視無視。時節柄・・・。
あくまでも主宰者の好みで運営中。


もうすぐワールドカップが始まります。
私程度ごときが公的場でサッカーを語って良いのかどうか悩みつつ、
ツウの為の、ではなく、
あまり興味がない人に向けてのサッカー観戦の楽しみ方、第二弾。

私は周りでは、
「マニアックな観戦者」「解説的観戦者」と言われているものの、
なんの、サッカー通には拙いと叱られるかも、な語りですが、
サッカーを観ていて、全然おもしろくない、という方に読んで欲しいです。

私的ジンクス後2つ合計3つ

最悪な試合を観せてくれたマルタ戦。
やはり私のジンクスが生きていました。
大黒選手は、第一シュートからゴールに嫌われ、
以後、ずっと嫌われた
のでした。
大黒選手は、腰の入った良いストライカーだけど、
ドイツ戦でもことごとくゴールに嫌われていただけに、精神性が不安。

私的ジンクスは他にもあります。

ゴールキーパーの川口選手の「ファーストタッチ」がクリアーできた時は、
その試合を通して、彼特有の神の手を披露してくれますが、
ファーストタッチがうまく行かなかった時は、
その試合を通して運がないのです(私比較)

川口選手は強化試合では調子が良かったと思います。
ドイツ戦のPKも取れたと思ったけどな・・・。チッ←独り言。

もう一つは、中村選手の動きです。
中村選手が「冴えて」というか「生きた」ら、
その試合の運行は全体的に素晴らしく良い方向に展開しますが、
中村選手の魔法の足がことごとく阻まれ、精彩に欠けた状態の時は、
消化不良な試合結果になる(私比較)

いえ、単なる私だけのジンクスですよ。

選手の身体重心を見よう

ジンクスなんて思いつかない安定した選手も居ます。

中田英選手は、どの試合に出ても安定しているので見ていて安心です。
どの試合にも、確実に全力を賭けていると見えます。
彼は口にしないけど(単に話しが苦手と見えるが)、
長年のサッカー人生の中で、ラッキーボーイのようで居て、
あくまでも実力だけが物申す海外ではものすごい苦汁も舐めたと感じられ、
強い精神力を培った上で、
どのような試合にもダレの見えない選手になったかも知れません。

そして、彼は自信の上で
「プロは怪我をしない」と言い切れるのだと思います

 (イチローも同じ事を言ってました。)
ダレも怪我も命取りな世界で生きてますもん。
彼の身体バランスは恐ろしく整っており、
敵にフェイントをかける為に、一見クネクネと身体を動かしていても、
「重心」は必ず真ん中にあるので、なかなかコケたり、つんのめったりしません
見ていて、これほど安心感が持てる選手は海外ではたくさん居るのですが・・・。
もともとの才能もあるとはいえ、
驚異の身体能力を持っている、いや、持つ努力をしたと感じます。

小野選手は怪我が多いのがタマにキズですが、
8年前に若干18歳で魅せてくれた、物おじしない堂々たるテクニックは、
まさしく天才であったし、それに今は更なる磨きがかかり、
彼のプレイもいつでも非常に安定していると思います。

彼のパスはエンジェルパスと呼ばれていますが、
どのような状況下であれ、受け手の事を考えた天使のようなパスを出します。
けど、敵には取られない的確なパス。
これは、
彼がすでに天才であった少年サッカーチームに居る時のコーチの教えによるものである、
と、どこかで読みました。
当時、すでに「浮いた」ほどの天才は、チームメイトの下手くそ加減を尻目に、
意気揚々とプレイをしていたのですが、ある日、コーチに
「サッカーとは、一人だけがうまくても意味がない。チーム全体でするスポーツだ」と諭され、
そこで小野選手は、受けられないような強いパスは意味がない、と悟ったとか


理論ずくで作戦を観よう

選手の話しではなく、サッカーの話しに戻ります。

私が真面目にサッカーを観ているのは、
ドーハの悲劇が起こった1994年からでしょうか。
もともと、学校のクラブ活動でサッカーを見ているのは大好きでしたが、
「理論的」に見始めたのは、その頃です。

スポーツは決して理論だけではないのですが、
私自身は実際は理論から観ると、やっと楽しめる
のです。

例えばF1だって、「作戦」を観なければ、
ただブンブンと車が走っているだけとなり、眠くなります。
一体、「チームとして」ファーストカーがどれくらいガソリンを積んでいるのか、
2ストップ作戦なのか3ストップ作戦なのか、
あるいはいつだかのフェラーリみたいに4ストップで勝利に導くのか、
いつ、どこでピットに入って、順位を守のか。
または、順位を守る為の技巧的なドライビングをしているドライバーなんて見つけると
ワクワクします

サッカーも、ぼんやり観ていたら、ちっとも面白くありません。
ルールそのものはド単純ですので、
何を観るかというと、やはり、「作戦」です。
大きなピッチで、ダラダラ動いているように見えたりしますが、
いざチャンスが来ると、ものすごいスピードで数人が一丸となって作戦を企てます

結果的に偶然そうなった場面もあるのかも知れないけど、
ボールではなく、ボールの周囲全般を見渡したら
誰が「囮」となって相手ディフェンダーの気を引いて走っているのか、
誰が誰にアシストしようと企てているのか、
右サイドが相手ディフェンダーに阻まれた時の為に、
誰が左サイドで準備する為に走りこんでいるのか、
どこでフェイントをかけて抜け出るのか、などが理解できます


選手たちは皆、単に意味なく走っていると思っている人も居るようですが、
そんな無駄はしませんね。
必ず「意味ある走り込み」なんです。

それが見えれば、「点取り」はシュートした者だけの成果ではなく、
全ての選手の成果であるという事が確認でき、
サッカーは一時におもしろくなります


私はもし、ワールドカップを現地のスタンドから応援したとしても、
たくさんの日本サポーターから逃げて、確実にピッチを見渡せる場所から、
冷静沈着に試合を観覧したいタイプです。
何故なら、私は、騒いで応援をしたいのではなく、
多分、理論的に見つめながら、勝利を祈りたいと思っているからです。

けど、選手にとってのサポーターの応援の声は気合いの源なので、
騒ぐ事も不可欠ではあります。
ただ、評論家に言わせると、日本のサポーターは、
チームを応援するために歌っているのではなく、
歌って自分を浄化する為にスタジアムに来ているのでは?などと
冷笑されています。
確かに内容なんか二の次で、ボールの保持率だけに目が行ってるかも。
ただのお祭り騒ぎで終わらないで、どうせなら深読みしてみましょう。


日本人ならでは、のチームプレー意識の長所短所

実際は、例えばストライカーというのは、
「俺が点を入れる」気で、同チームの誰かがシュートしたら、
「弾いて俺の所にボールが来い」と思うくらい
エゴイスティックな要素が必要らしく、
「自分以外の者が入れた1点で1-0でチームが勝つ」より、
「自分のハットトリックでチームが3-4で負けた方が満足感が強い」
ほどでなければならない・・・のも本当。

チームの事ではなく、得点王になりだいだけの自分の事ばかり考えている、
そんな悪役は嫌われる(笑)。
日本人は、特に穏便な性質を持つ人種ですので、
「囮役」だとか「アシスト役」にも満足感を持つ選手が多く
また、日本では、そういう影の立役者を崇めたりするので、
本人たちに飢餓感はないと感じます。

けど、こういう精神のせいで、
以前は過剰な譲り合い精神がチャンスを無駄にしたな
と思う試合が多々あったほどです。

また、「カッコイイシュート」にこだわったかのようなシュートで
外した姿
も観られました。
偶然そうなったのだろうけど、
できもしないオーバーヘッドボレーで外しまくったゆえ、
帰国の際にファンに生卵を投げられちゃった選手が居ましたねぇ。

しかし、何度もの世界大会を経て、
「美しい試合」「中身が充実した試合」なだけでは、
「結果」として全く生き残れない事に気付いたか、
しょせんは「なんでも良いから点が入ったモン勝ち」である事実を体感したか、
ここ最近は、みっともなくても構わないから突っ込む選手が増え
ミッドフィルダーであろうがディフェンダーであろうが、
たまたま上がっていて自分がシュートするべき場所に居たなら、
儀礼的なフォワードへのパスより先に、
すかさずシュートする姿が観られるようになりました。

フランス大会では、
怪我を抱えた中山(ゴン)選手の痛恨のダサいゴールが話題になりましたが、
あんなにみっともない体当たりシュートでも、
「入れば記録」、
そして結果的に黄金の美しいシュートなのです。
中山選手の闘志は、後輩たちに大きな影響を与えたと考えられ、
綺麗事ではないチャラけない中山選手を目指す選手は数多く居ます。
中山選手の精神と技量は、通称、「ゴン魂」といわれており、
今回の日本代表のフォワード、
高原選手や巻選手は「ゴン魂を受け継いだ選手」と言われています。

けど、日本はお国柄とはいえ、とにかく大人しい。
良く言えば紳士的なフェアプレイなんですけどね。
なんとなく苦労知らずな貴族的。
去勢されたオスみたい・・・。
実力のわりにFIFAランキングが高いのは、
もしかしてフェアプレイ力?などと思う私ですが・・・。

それは、国が平和で豊かだからに過ぎないのですが、
「日の丸を背負っている意識」が薄いのは考えもの。
日本人から見れば、たかだかサッカーか?
実はピッチは他国の選手にとっては戦場なんです。
馬鹿な本物の戦争を繰り返す必要はないけれど、
日本ももう少し逼迫して欲しい。
まぁ、観ているだけの方は、好きな事言えてしまうんですけど、
いつもいつも消化不良な思いが残るので、少しは文句が言いたいのよ。

サッカーボールしか遊具がなかったほどの背景で育った選手と、
なんでも手に入る背景で育った選手が同じ条件で戦うのですから、
無理があるのはわかっているんですけどね。

相性の問題で勝てる場合もあれば奇跡が起こる可能性もあるさ

ホントはね、出場国を見つめて
「どこが弱いかな〜。」と探したら、
「に・・に・・日本じゃん。」と呟いちゃった私は非国民

私って、理由なくは熱くならない性格で、いつも奇妙に冷静なのさ。

優勝は、全くスキのない天才がテンコ盛りのブラジルかも・・・
って・・・日本は一次リーグでぶつかるっちゅうのよ。
けど、
対ブラジル戦はどうも、
監督、選手、マスコミまでもが捨てている?みたいでトホホ、
目下の敵はまずはオーストラリア。

もう一つ、強豪クロアチアとはフランス大会と同じで、
ミッドフィルダー含め、7バック体制にならざるを得ないガードが効いて、
イイとこ1-0?かな・・。(私予測)

私、実はサンバのノリまんまのブラジルサッカーのファンだから、
日本が敗退したら、次はブラジルを応援するわ。
(チームとしたらば、レアルマドリードのファンで
 日本のJリーグは少年サッカーっぽいから(ごめん)好きなチームなし。)

けどね、過去を辿ると、
ブラジルはかなり格下のノルウェーには勝った試しがないのだって。
嘘か誠かは知らないけど、
ノルウェーの、退屈なほどに全く変化のない頑固一徹な応援と、
やはり馬鹿の一つ覚えのようなシンプル過ぎる変化のない作戦には
終いに音を上げてしまったのではないか、とか。
今回、ノルウェーは参戦しないけど、ブラジルは大喜び??

そして、記録によると、ノルウェーはオーストラリアには勝った事がない。
ブラジルに勝ってオーストラリアに負ける??
要するに、「強い、弱い」だけでは計れない「相性」があるようで
サッカーも他のスポーツと違わず、何が起こるかは最後までわからない。
だから、奇跡だって有り得るから、最後までしっかりと応援します。

日本は今回、円熟した「技巧師」が集まっているから、
デッカいだけで多少ザツなだけのチームには技巧が通じれば勝てるかも、
という期待はあります。
あの、悪い意味のジンクスが起こりませんように・・。

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サッカー用語簡単講座

試合を観ていると、しょっちゅう聞くけど、何言ってるの?な講座。
よく耳にするものだけ・・・・。

●フォワード・・・最前線で相手の守備陣を突破して得点をする役目の選手。
         いわば、役割としてはストライカー。
         
●ミッドフィルダー・・・フォワード と ディフェンダーの中間のポジション。
            両ポジションのつなぎ役で攻撃と守備の両方に関わる中間点。
            守備重視のミッドフィルダーを守備的ミッドフィルダー、ディフェンシブハーフと呼ぶ。
            攻撃重視のミッドフィルダーを攻撃的ミッドフィルダー、オフェンシブハーフと呼ぶ。
            ボランチも守備的ミッドフィルダーの分類に入る。

●ディフェンダー・・・相手フォワード選手の攻撃を阻止し、守備する役目の選手。

●ボランチ・・・守備重視の ミッドフィルダー で、攻撃の起点となる選手。


●アシスト・・・ ゴールに直接貢献したシュートの直前のプレー。

●オフェンス・・・攻撃。

●オフサイド・・・相手サイドでパスを受ける選手より前に、
         相手チームの選手が2人以上いなければならないというルール。
         本来、待ち伏せという卑怯な行為の禁止から生まれたルール。

●オフサイドラップ・・・ 相手をオフサイドのポジションにとり残すために、
             意識的にディフェンスラインをあげる(相手ゴール側に移動する)こと。

●くさび・・・前線の選手に対して入れる鋭い縦のパスを指す。
       それを受けることが「ポストプレー」。
       くさびを入れる最大の理由は「ため」を作ってからの攻撃をスピードアップさせること。
       詳しく言うと、
       受け手がボールをキープすることで、
       中盤、あるいは周りの選手が前へ行く時間を作れるから。
       次にボールを受ける選手は前を向いてプレーすることができ、スピードが上がる。

●コーナーキック・・・守備側の選手が出した(当たって出た)ボールが、
            ゴールライン を越えた場合のゲームの再開方法。
            攻撃側がボールの出た近い側のコーナーエリア からキックする。

●フリーキック・・・反則を受けた側が得られる妨害なしのキック。
          反則の種類によって 直接フリーキックと間接フリーキック がある。
          相手チームはボールから9.15メートル以上離れなければならない。

●ゴールキック・・・ 攻撃側の選手が出した(当たって出た)ボールが
           ゴールライン を越えた場合のゲームの再開方法。
           守備側がゴールエリアからペナルティエリアの外にボールをキックして再開する。
           ボールがペナルティエリアの外に出る前に、
           敵味方問わず他の選手がボールに触わったらやり直し。

●ペナルティキック・・・守備側の選手が自陣のペナルティエリア 内で
            直接フリーキック となる反則を犯した時に与えられるキック。
            ペナルティエリア内のキックマークから蹴るが、
            キッカーとゴールキーパー 以外は
            ペナルティエリアとペナルティアークの内側に入ってはいけない。

●アドバンテージ・・・反則があった時、反則された側が有利に試合を進めていると
            主審が判断した場合、試合を止めずに続行すること。

●カウンター(カウンターアタック)・・・相手の守備体制が整っていないうちに素早くしかける攻撃。
                    日本チームでは滅多とない、というか、ほぼできない伎。
                    他国は得意。
                    これをやられたら、阻止するのは至難。

●オウンゴール・・・味方のゴールにボールを入れてしまうこと。日本では自殺点と呼ぶ。
           こんなおバカな行為は滅多と見られないが、単にボディに当たって入る不運あり。 


●ハットトリック・・・1人の選手が1試合で3得点すること。

●ボレー(ボレーキック、ボレーシュート)・・・浮いているボールを直接蹴ること。

●オーバーヘッド(オーバーヘッドキック)・・・ 空中、自分の頭上でボールをとらえるキック。
                         別名バイシクルキック。

2006年6月7日(水)

<毛穴、毛穴、毛穴の謎>

一年中のテーマとはいえ、この時期になると、
どこのブランドでも、どの美容雑誌にも、毛穴、毛穴、毛穴。
毛穴は何故にもそんなに忌み嫌われるのか。
毛穴なんて、ただの毛の出口じゃないか・・・。
こんなものと、何故に人々は戦うのか。

これについては、美意識の差があって、
どう見ても目穴がポッカリ開いていても、
全然気にしない人も居れば(気付かないのか?)、
ほとんど目立たないのに、
醜形恐怖症のように気にして病むほどの人もいます。

顔の毛穴が体に比べると目立つ理由は、
毛穴を皮膚科学的に見ると、
産毛が生える「軟毛性毛包」、
皮脂を大量に作り、ダクトが太い 「脂線性毛包」、
ヒゲや髪が生える 「終毛性毛包」
の3つに分類されるが、
顔には「脂線性毛包」がたくさん存在するためだそう。

何故、皮脂が毛穴から出るか、というと、
毛が生えてくる際に、
皮脂で、毛包と毛の接触を滑らかにして、毛を生えやすくしているとか。
美的には超迷惑?
問題は毛穴ではなくて毛穴の皮脂という事か?
しかし、毛穴には様々な理由があり、
一概には言えないのです。

ところで、赤ちゃんには毛穴が全く目立たないので、
毛穴の数は加齢と共に増えている気がするけど、
人間の場合は、
だいたい妊娠6ヶ月ぐらいの胎児の時に、すべての毛包が完成するそうです。
毛穴の数が加齢と共に増えるという事はないのだそう。
増えたと思うのは、「目立った」から・・・。ガーン。


角栓とは


:確かに「穴」って・・・・。
鼻にも耳にも「クソ」が入ってる。
何かと「クソ」というか、 「ゴミ」 が溜まるのね。
決して綺麗ではないか。

毛穴には何が入っているか、というと、「角栓」。
しかし、「角栓」なんて言葉は、もともとあったのではなく、
1989年頃から、
「毛穴に詰まった謎の固形」を総じて「角栓」と呼ぶようになっただけだと
思われます。
通常はワードで変換できないっしょ〜。

この角栓というのは、皮脂が凝縮した塊ばかりではなくて、
「皮脂と角質と空気の汚れが付着したもの」であって、
実際は、「ほとんどが死んだ角質細胞」
ゆえに、タンパク質だから固い上に、
それを皮脂が接着剤の役割をしてくっつけている
のだそうです。
聞いただけで強情そうですね。

皮膚が乾燥し、バリア機能が弱まると、
肌を守るが為に角化がどんどん早まってしまい、
次から次へと角質層が出来上がってしまい、
剥がれそうになる時に、毛穴に詰まります。

皮脂分泌が多い人の方が、要するに接着剤が多いゆえに、
角質をくっつけやすいわけで、
ゆえに角栓が太くなってしまい、毛穴が広がりやすいのだそう。

そうして角栓と戦う女たちのためにできあがった、
「引っ張り出す」「溶かす」「掻き出す」角栓美容製品は数知れず。

毛穴そのものにも自浄作用はあるようで、
皮膚が正常に代謝をしている時は、
毛穴内部に溜まった剥がれた最表面の角質層細胞は、
皮脂と共に毛穴の外を排出されるそうです。
毛が伸びる時にも、その毛に付着して、代謝したものは排出されます。
ただ、皮膚の代謝は、怠慢を起こす事がママある、
という難題を抱えている
ので、
定期的に手入れしてあげるしかないようです。
けど、やり過ぎ、過激ものには注意。


目立つ理由はクボみらしい

毛穴の原因は角栓だけではなく、様々だけど、ある一つには、
「クボみ」説も。

毛穴はそれでも、毛穴そのものが大きく緩んでいるという事はないそうで、
「毛穴の周囲がクボんでいる」のが問題なのだそうです。

S社では、このクボみは、
私たちが分泌している皮脂(不飽和遊離脂肪酸)が
原因になっているとしています。
この皮脂の成分が毛穴周囲を刺激して、
肌細胞のターンオーバーを乱し、
一つ一つの角質細胞の成熟を不完全なものにしてしまうゆえ、
キメも乱れてしまい、クボんでしまう、との事。

K社では、肌細胞の増殖のスピードが早まってしまうと、
肌の基底層の形状デコボコしてしまった場合に、
一つ一つの肌細胞が肥大化して毛穴が目立ちだす、としています。

クボむ原因に関しては、加齢のせいとは言い切れず、
皮脂との関係についても、まだ調べている最中だとの事です。

毛穴に化粧品が詰まる事はない

この間、
「ウォータープルーフのUVカット剤が毛穴にまで入り込んでいる気がする」ので、
どうにか毛穴が取れそうなクレンザーを使ってみようと・・・
と書きましたが、
実は、皮膜感があるだけで、
実際にそれらが毛穴に詰まるという事はないそうなんですね。

だから、クレンジングに関しては、
やはり「取り過ぎ」「掻き出し過ぎ」の行為による
代謝の狂いや乾燥の方が、
かえって毛穴が目立つ可能性大
です。


恐怖の老化毛穴は小皺と結びつく醜悪な帯


一昨年辺りからよく聞く「帯状毛穴」は、
皮膚がたるんで毛穴が楕円形の涙型に広がったところに、
毛穴同士が小皺で結ばれたもの
の事です。
帯状毛穴は進行すると、小皺を誘発するのだそう。
おお、怖い怖い。
この帯状毛穴が出やすいのは、
ホウレイ線から頬にかけて
だというから、超老け顔一直線。


冷やすと毛穴が目立たなくなるのはウソ


ちなみに、「肌を冷やすと毛穴が目立たなくなる」という俗説はウソで、
肌に氷を当てると、立毛線が刺激されて鳥肌が立ち、
毛穴が縮まったようになるだけ
だとか。
氷ケアは、あくまでも血行が悪い場合の
一時的血行促進にしかならない様子です。


化粧品は毛穴から浸透させるものではない


もう一つのウソは、
「毛穴が開いていた方が化粧品の浸透が良い」という俗説。
化粧品は毛穴に浸透させるのではなく、
あくまでも角質層から浸透させます。

肌を温めると浸透が良くなるのは、
肌を温める事で角質層の細胞同士の繋がりが少しだけ緩むから
です。

そうそう。毛穴に化粧品が浸透すると、すぐに血中に行ってしまいますので、
角質層に全然効きません。


何故中心部ばかりが脂っぽい?


ところで、顔にしてもボディにしても、なんで「中心部」ばかりが脂っぽいか?
それは、受精卵が3つの層に分かれている事と関係があるそうです。

まずは細胞に栄養を与える為に、循環器系や血管網ができますが、
受精卵の一番外側が外胚葉であり、
この外胚葉から皮膚が形成されるのですが、
それら循環器系や血管網を覆うようにくっついていきます。
血管網ができてから結合するという事はつまり、
結合組織の真ん中には動脈がないという事。
ゆえに、身体の中心は一番血行が悪く、
それを保護する為に皮脂の分泌が活発になる
、という事でした。

毛穴ケア

毛穴ケアとしては、何が大事かは、
「毛穴の種類」によるので、私には合っていても、
他の人に合うとは限らないです。
私の場合は、鼻であれ、毛穴が黒い事はないので、
目立つとしたらば、
角栓ではなくて、乾燥と頬のたるみ毛穴系だと思います。
なので、私の場合は保湿、保湿、保湿。
保湿で肌を膨らませると気にならなくなるのです。

けど、保湿といっても、ニキビができるほどの行為は本末転倒。
要するに、「水分油分のバランスを取る」というのが本当です。

代謝についても、私もいつも「代謝促進」と書いていますが、
実は「代謝を促進させるのではなくて」、「代謝を正常化させる」と言うのが本当。

要するに、何につけ、
全ての バランスコントロールが付けば毛穴も目立たなくなるという事・・・
って・・・これが一番難しいっちゅうんだわさ。

メイクで化かすとしても

これも、毛穴の種類によって、
同じ事をしても、かえって目立つ人と隠せる人があると感じます。

通常は、肌をマットに整えるほうが毛穴が目立たなくなるはずなんですが、
私の場合は、粉をたくさん使うと、乾燥で粉が浮いてバサバサになり、
素肌だと見えなかったはずの毛穴が登場しやがります。
どちらかというと、
「テカっているほどのツヤ肌」で居る方が好みでもあり、
また、毛穴の存在が消えます。

チークゾーンなんかも、
練りチークを使っている方が余程詐欺的若肌になります。

私とは対極にあるオイリー肌の人でも、
メイク仕立ては粉を重ねるほど厚くした方が毛穴が消えるようですが、
いわゆる「ファンデーションの毛穴落ち」というのですか?
時間が経つと、
肌の脂でそれが起こってしまい、これまた毛穴が目立って来るようです。

果たして、「粉」は、本当に肌を綺麗に見せるのだろうか・・・。
私的に思うには、「仕上がり早々だけはね」という気持ちもあります。
粉はとにかく、ホンの少し乗せる方がいっそ後がきれいかも・・・。

難しいのね。
サラサラパウダーの方がサラリと綺麗に仕上がるものの、乾く。
シットリパウダーはヘタしたらコナコナがどこかで固まったみたいになってヨレる。

特に、毛穴問題多発のこれからの季節、
綺麗なメイクを維持できないところに大問題が発生するのね。
メイクが崩れた顔って、素肌より汚いのよね・・・。

外は暑くて汗と皮脂が浮き、室内はクーラーでド乾燥。
どうすりゃ良いのか。

やはり、ノーファンデーションで居ながら、
ファンデーションを塗っているかのように見える
生臭くない素肌を作るしかないのか・・・。